リターン ツゥ スクール
高くそびえ立つ鉄の門。平日はほとんど開けられることのない正門。
街のはずれに広大な面積を所有する全寮制の私立進学校。
一クラス30名が5クラス。中等部高等部三学年ずつ合わせて900名の男子が在学している。
初代校長がイギリスWinchester(ウインチェスター)校からの招聘(しょうへい・招いてその地位に就いてもらうこと)ということもあり、日本では珍しいパブリックスクールの伝統が受け継がれている。
四月。校舎周りのみならず、広大な敷地をあますことなく桜並木が埋め尽くす。
紺色のブレザーに身を包んだ新入生が、大きく開いた正門からこれから六年間を過すこの学校の入学式に臨む。
吹く風に花びらは舞い散り舞い上がり、紺色と桜色のコントラストが少年達の希望と未来を彩る。
桜舞い散るその中で、聡(さとし)を見送る本条先生がいた。
両親が迎えに来た車に乗る間際、聡が振り返って先生に言った。
―先生、僕は帰って来れる?―
―その答えは君自身が一番良く知っているだろう―
先生の自信に満ちたその笑顔に、聡もつられて笑顔を返した。
それから一年。
村上 聡(むらかみ さとし) 高等部二年 復学。
「入学式も無事終わりましたね、先生」
学校横の小さな花屋の奥の部屋。
いつものように花束にする花々を、テーブル一杯に乗せて先生が手早く作り上げていく。
まるで織物を織るように、編み物を編むように、先生の手先が柔らかに動く。
「うん。卒業式と入学式で毎年この時期は花がカラッポだね。一年で一番豊富な時期なのにね。
・・・君の方は落ち着いたの、聡君」
「はい、もうすっかり。・・・薬はまだ手放せませんが」
先生と向き合う位置に座っている僕に、童顔の笑顔を向けながら楽しそうに語りかけてくる。
花を触っている時の先生は本当に嬉しそうだ。
「そう・・・っく・・ハックション!!」
「・・・風邪ですか?さっきからくしゃみばかりしていますけど」
気のせいか、なんとなく先生の顔が赤らんで見えた。
「風邪?違うよ、風邪なんてここ何年引いたことないし・・・花粉症かな」
「・・・先生、そちらの方が有り得ないでしょう」
先生が花粉症なんてシャレにもならない。
「そう?急になることもあるって聞いたけど・・・ぅ・ハックション!!」
「・・・マスクされますか?」
学校の中はいつもたくさんの人と花が溢れていて、まだ免疫がしっかりしていない僕にとってマスクは必需品だった。
学校内を彩る樹木の群生や花々の匂いはマスクで遮断されても、視覚で充分楽しむことは出来る。
以前は花の傍にさえも近寄れなかったのに、今では先生が作る花束の選り分けを手伝ったりも出来るようになった。
「白瀬君は花の手伝いがあまり好きじゃなかったみたいだったけど、君は好きみたいだね。
花を触る手つきを見ればわかるよ」
僕はどう答えて良いかわからなかった。これではさんざん手伝ってきた白瀬さんの立つ瀬がない。
「・・・だめでしょう先生、そんな言い方。あれだけ手伝ってもらいながら・・・」
「ここにスィートピーとフリージアを入れて・・・どうだい、可愛いだろう?
そう言えば白瀬君は花束も作れなかったな。淡く仕上げるって言っているのに、大振りのユリなんか持ってくるんだから」
先生は全く僕の言うことなど聞いていないようだった。だけど・・・
「先生、白瀬さんが卒業して寂しいんでしょう」
口をついて出るのは白瀬さんのことばかり。先生が強がりを言うので、少し意地悪で返してみた。
「うん。すぐ顔に出るから面白かったし、嫌そうな割には一生懸命だったから」
先生は特別照れるふうもなく、あっさり認めた。
「先生・・・」
「でも寂しいのは白瀬君だけにじゃないよ。毎年のことさ。
そしてまた新入生が入って来て・・・聡君も復学出来たしね」
暦の上ではついこの間の卒業式も、入学式を終えると随分前のような気がする。
新入生が入って来たからだろうか。
新しい息吹が寂しさを癒すからだろうか。
「高等部は明日からです。新しいクラスもメールで通知が来ました。Aclassです」
「Aclass・・・・・・聡君、委員長だろ」
年度初めのクラス替えは学校側から各自のパソコンに前日、メールで通知が来る。
朝夕のメールチェックは、生徒に義務付けられた学校生活の一貫だ。
同時に担任の名前と委員長の名前も記載されている。
委員長は選挙ではなく、学校側の推挙で決められる。
前日に自分のクラスと担任、委員長だけはわかるが、他のクラスメイトはわからない。
中等部の頃は夜みんなでレストルームに集まってお互いのクラスを確認しあったりしたけれど、高等部ともなると中等部を経て見知った顔が多くなるのでそんなこともしなくなる。
「はい。でも委員長って言っても、まずクラスメイトの顔と名前を覚えることからです。
一学年下だけなのに、ほとんどわかりません」
僕の名札紐はオレンジ色。明日から新年度を迎える高等部三年生の名札紐の色だ。
名札紐も学年ごとに持ち上がる。高等部二年生は黄色の名札紐。
その中にオレンジ色の名札紐が交じる。
留年したのがまるわかりだけど、それは唯一僕が胸を張れる証。
「そんなことは微々たることさ。だいじ・ょ・・うっ・・ハーックション!!」
「・・・先生の方が大丈夫じゃなさそうですね。やっぱり風邪じゃないですか」
先生のくしゃみの煽りで、花束の花びらが数枚舞い落ちた・・・。
花屋から学校の寮へ帰る時、白瀬さんは一旦学校の外に出る通用門を使っていたようだったけど僕は中を通る。
覆い茂った木々の間を直線で抜けると、意外と寮まで近い。
「先生、明日の用意がありますので、これで」
「聡君は通用門は使わないんだね。白瀬君は六年間もいて、中の道が覚え・・・うっ・・」
どうやらくしゃみは先生だけではないようだ。白瀬さんもしているかも知れない。
これだけ引き合いに出されたら・・・。
明日からの復学に向け本条先生に挨拶を済ませて、裏側から花屋を出た。
裏庭から放射線状に延びる、先生の宿舎に通じる道を行く。
真直ぐ、宿舎の横道を通り抜けると落葉樹林に覆われた一帯がある。その向こう側に寮がある。
木漏れ日の中に踏み入ると、少し湿った葉の感触がする。
マスクをしていても、視覚と体全体で青葉のみずみずしさを感じる。
生命の源がそこにある。
ガサッ・・ザッ!ザッ!・・・
「ばっかやろ・・・おいっ、早く!」
「・・・消えた?・・・念のためにもう一度・・・」
中ほどに差し掛かったところで、複数の話し声と草むらを踏み付けている音が聞こえて来た。
葉陰が開けた視界の先に三人の学生がいた。
「君たち・・・渡瀬?・・・三浦に谷口、何してるの?」
声を掛けた僕の方を三人が三人とも顔を向けた。もと同級生たちだった。
「・・・聡か。脅かすなよ」
両手をポケットに突っ込み、自然にウェーブの掛かる髪が左サイドに流れる。
新年度より高等部三年 ―渡瀬 俊樹(わたせ としき)―
「マスク・・・完治したんじゃねぇの?」
カッターシャツの胸元をだらしなく2つボタンまで開け、校則スレスレのやや長めの髪をかき上げる。
同高等部三年 ―三浦 祐輔(みうら ゆうすけ)―
「でも良かったな。復学出来て」
三人の中で一番おとなしそうながら、フェイスラインに沿ってシャギィにカットした髪がきっちり自己主張を表していた。
同高等部三年 ―谷口 克己(たにぐち かつみ)―
「聡には関係ないって。・・・学年は違っちゃったけど、こっちのレストルームにも遊びに来いよ」
渡瀬が僕の気を逸らすように話を変える。
足元には踏み付けられた草とともに白い小さな花をつけていた雑草が、渡瀬の靴の下から見えていた。
「足をどけろ、渡瀬。・・・タバコ、停学じゃ済まないのは君たちも良く知っているんじゃないの・・・」
あきらかに、彼らはタバコを吸っていた。
靴でこする様に踏み付けられた草に、少し焦げた跡が残っていた。
「見つかればな・・・」
三浦が薄笑いを浮かべながら、手を開いた。ライターがあった。
「つまんねぇ人生だから、ついムシャクシャしてさ。
あっ、聡にはわかんないよな、こんな俺らの気分」
谷口はつまらないと言う割には楽しげに上着のポケットからタバコを取り出し、ポーン、ポーンと二度三度空中に放り上げた。
「わからないよ。つまらない人生しか生きられない奴はつまらないことしか出来ないって、それは今わかったけど」
三人の顔色が変わった。
「・・・聡、お前変わったね。少なくとも喧嘩売るような奴じゃなかった」
渡瀬がゆっくり足をどけながら言った。視線は自分の足元に落としている。
白い小さな花が朽ちているのを、無表情で見つめていた。
「少し気がつくようになっただけだよ。君の足元の花とかに・・・」
渡瀬、三浦、谷口共に中等部の時から、成績はトップクラスだった。
なかでも渡瀬は、ほとんどの学年で委員長を務めていた。
三浦も谷口も普段はそれなりに制服も頭髪も整えていて、彼らは常に僕たち生徒の中心にいた。
「何もかも満たされた人生ほどつまらないものはないよ。ここで学ぶものはもうないな。
後はもう一年我慢するだけ・・・ちょっと退屈だっただけさ」
無表情のままだった渡瀬の顔が覚めた口振りとは裏腹に、いつもの渡瀬の顔に変わって行く。
面倒見の良い委員長の顔に。
「行こうぜ。・・・聡も行こう」
三浦が要領良く服装を整えながら僕に声を掛ける。だらしない雰囲気が抜けると、やや長めの髪もそれなりに収まって見える。
「俺は聡に喧嘩売られても買わないぜ。ホントつまんないとこ見られちゃったな」
ニコッと微笑ながら、慣れた手つきでタバコをポケットにしまう。完全に善悪の判断がマヒしているような谷口の笑顔だった。
入学時に満開だった桜並木も、数日で葉桜に姿を変え始めていた。
この辺り一帯も桜のシーズンが終わると、コナラやヒノキ、スギなどが目立つようになる。
花粉症の人たちには最も辛い時期・・・。
「ヘーックション!!」
「・・・先生」
「先生・・・?」
午後2時あたりだろうか。真上の太陽が少し西に移動し、差し込む陽の光を背に本条先生が立っていた。
先を行きかけた渡瀬たちも、先生のくしゃみで気が付いたようだった。
しかし渡瀬も他の二人も、きょとんとして先生の方を見ていた。
エプロンに長靴は見慣れている僕にはいつもの恰好だが、彼らには先生のイメージと結びつかないようだった。
しかもさっきまで首に下げていたタオルを、バンダナのように頭に巻きつけていた。
「どうかしたのかい、聡君、こんなところで。もうとっくに寮に着いていると思っていたけど」
先生の方も驚いたようだった。
「彼らと偶然ここで・・・同級生・・・あっ、もと同級生ですね。・・・つい話し込んでいたんです」
けして庇うつもりはなかったけど、校則の厳しさを知っているだけに告げ口のような形では言えなかった。
もし僕が彼らと同じに学校生活を送れていたら、僕もこの場に居たかも知れない。
渡瀬も三浦も谷口も、僕たちはずっと一緒にこの学校で過して来た。友達だ・・・。
「思い出した!時々レストルームやスタディルームの花代えに来ている人だ・・・って、先生だったのか?聡。」
三浦がまだ疑問混じりに聞いて来る。・・・無理もないけど。
「卒業式の時、壇上にいらっしゃいましたね。先生、気が付かなくてすみませんでした。
違う学年の先生だとたくさんいらっしゃるので、咄嗟に思い出せなくて。せめてネームフォルダを掛けてくださっていたら」
すっと引き戻った渡瀬が僕たちの前へ一歩出て、礼儀正しく先生に挨拶をした。
しかし、渡瀬の言葉と態度はどこか先生を小ばかにしたような感じだった。
エプロンに長靴、少年のような童顔の先生を、あきらかに渡瀬は見くびっていた。
「ネームフォルダ?・・・ああ、これかい」
先生は花に引っ掛かるんだと言って、首に掛かる黒紐を左手で引っ張ってエプロンの内側から名札を取り出した。
―本条 志信(ほんじょう しのぶ)・教職 指導部―
「・・・し・・指導部!あっ・・・」
顔を引きつらせて後ずさりした谷口は、あまりにもわかり易かった。
三浦はぎょっとした顔でそのまま固まってしまった。
渡瀬だけが、そんな二人を見て舌打ちをした。
「・・・何?何かよからぬ事をしてましたって顔だね。君たち名前とクラスは?」
先生の顔から少年のような面差しが消えて行く。
小ばかにしていた渡瀬も先生の雰囲気の変化を感じ取ったのか、その表情が変わった。
「渡瀬俊樹です。クラスは・・・まだ確認していません」
「渡瀬、ここで何をしていたの?」
「・・・何もしていません。何かをしていなくてはいけないのですか」
パンッ!
そう言った途端、先生が渡瀬の頬を叩いた。
「君は?」
「・・・三浦祐輔・・です。クラスは僕もまだ・・確認していません」
ますます固まる三浦の前に立った先生は、身体検査のようにパタパタと体に手を当てていたかと思うと、ズボンの右ポケット辺りに思いっきり平手を落した。
バシィッ!!
「――――ッ!!」
いきなりの衝撃と痛みに倒れるまではなかったものの、三浦は太腿を押さえて大きくよろめいた。
「ポケットのものを出す。・・・君は?」
「あ・・谷口・・・克己です。・・・僕もクラスは・・・まだ・・・」
谷口はもうすっかり動揺していて、顔面蒼白になっていた。
「君は何も持ってないのかい」
先生の問い掛けに、谷口は震える手でポケットからタバコを差し出した。
「これは没収」
先生が二人からタバコとライターを取上げた瞬間、ようやく三人は取り返しのつかないことをしたと感じたようだった。
「それから名札も」
「・・・名札もですか?」
渡瀬が不思議そうに聞いた。まだ二年生の時のままの名札だった。
名札紐は持ち上がりなので、高等部で一回交換する。
明日は学年とクラスと名前の記載された名札だけが配られる。
渡瀬はオレンジ色の名札紐を首から外し、後の二人の分も回収して先生に手渡した。
「明日からこの名札紐の色は三年生のものだけど、君たちにこれを掛ける資格はないよ。
当たり前に三年生になれると思ったら大間違いだ」
先生の手に握られた三本の名札。オレンジ色の紐は明日から高等部三年生の証。
名札紐の色には、僕には僕の彼らには彼らの証がある。
谷口の目から涙がボロボロとこぼれて、やがて嗚咽が号泣に変わった。
三浦は大きく溜息をつきガックリと肩を落とした。
渡瀬だけが、まっすぐ前を見ていた。しかしその表情は、あきらめとも開き直りとも取れるものだった。
「どうしてタバコになんか手を出したんだい?」
先生が渡瀬に聞いた。他の二人はとても話にならない。
「・・・・・・・理由なんてありません。退屈だったから、少し刺激が欲しかっただけです」
「ふ〜ん、どうだったの刺激は?」
「・・・・・効き過ぎでした」
バシッ!
また先生が渡瀬の頬を叩いた。
「三人とも今日から謹慎。午後5時までに学校横の花屋へ来ること。
通用門を・・・名札がないんだな、守衛さんには言っておくから。
せめてクラスの確認くらいして来たらいいよ。・・・どうなるかわからないけど」
最後のダメ押しのような先生の言葉に、とうとう谷口が地面にうずくまって泣いてしまった。その横で立ち尽くす二人。
少なくとも今の彼らに、退屈と感じる余裕はなくなったはずだ。
「君は庇うつもりだったのかい?」
先生は三人から今度は僕の方へ、歩み寄って来た。
「・・・・・・結果的にそうなりました」
庇うつもりはなかったけれど、でも庇おうとする意識が働いたのも事実だ。
「情状酌量の余地ありかな・・・状況とか聞きたいから明日宿舎の方に来てくれるかい」
「はい。・・・先生、顔真っ赤ですけど」
まだそんなに気温も高くないこの時期に、額から汗が流れている。
「何だか、くしゃみがあまり出なくなったら今度はやたら暑いんだ・・・」
完全に熱がある症状だった。
「医務室に行かれるところだったのですか」
宿舎からこの道を通ると言うことは、先生も僕たちの校区内の方へ行く用事があるということだ。
「医務室?行かないよ。職員会議なんだ、急に電話で呼び出されて」
「・・・事前にメール連絡は来ないのですか?」
「さぁ・・・たくさん来るからどれがどれだか良くわからないんだ」
冗談とも思える言葉も、先生の恰好を見ればそうではないことがわかる。
着替える間もなく慌てて花屋を出て来たんだ・・・。
「でももう間に合わないな。三人の準備もあるし・・・君たちも早く寮に帰って、いろいろ用意することがあるだろう」
先生は会議に出られなくなったことを、さほど気にしている様子はなかった。
むしろ欠席する理由を声に出して、ひとり納得していた。
「先生、ここまで来たのなら医務室へ行かれたらどうですか?どう見ても風邪です」
それも、あきらかに症状は酷くなっている。
「大丈夫だよ。風邪なら寝てれば治る」
そう言って先生は、もと来た道を戻って行った。
ザザ―――――・・・
風が出てきたのか、大きく木々の葉が揺れる。
名残のように桜が散り行く。
毎年見るこの景観が去年は全く異質なものに感じて、当たり前のことが当たり前でなくなる感覚。
「つまらない」と、人生をなめて掛かった彼らに、今この景観はどのように映っているのだろう。
その代償はあまりにも大きい。
―来年、僕はまたこの景観の中に帰って来れるのだろうか―
それまで綺麗とだけしか認識のなかったものが、散り行く早さの儚さに心打ちひしがれて、絶望の二文字が花びらに舞い・・・
でもその中で、先生の自信に満ちた笑顔が僕に希望の二文字を呼び戻した。
―その答えは君自身が一番良く知っているだろう―
午前7時30分。高等部二年A class。
『村上 聡 高等部2年Aclass』 机の上に置かれた新しい名札。
オレンジ色の名札紐に付けて、首に掛ける。夢にまで見たこの瞬間。
まだ誰もいない教室で机に座って心静かに耳を澄ませば、懐かしさとともに感傷が湧き上がる。
―これからなのに・・・―
そう思っても、今までの1年間が走馬灯のようによぎり、不意に視界が歪むのをどうすることも出来なかった。
午前八時を過ぎると、続々とクラスメイトが入って来た。
みんな気を使ってくれるのか、口々に挨拶をしてくれる。
「あっ、村上さん!おはようございます」
「村上さん、一緒のクラスになれて光栄です」
「やっぱり村上さんが委員長ですね」
人はどこまで優しいのだろう。
―勉強する意味は?生きている意味は?―
休む前に残した問いかけの答えは、きっとこの中にあるはずだ。
「敬語は辞めてよ。みんなと同じだよ、同級生なんだから」
他のみんなも同じように机の上の名札を各自の紐に付ける。
その名札をひとりひとり確認させてもらいながら、名前と顔を覚えて行く。
明るい笑い声が教室に響き、これから新年度を迎える心地よい緊張感がクラスを包む。
同時に昨日の三人のことが思い浮かび、胸が痛んだ。
―聡、頑張れよ―
―絶対、帰って来いよ―
僕は忘れない。彼らの真実の心。
願わくは、彼らもまたここに戻って来られますように。
そろそろ全員の着席が揃う頃、ガタン、椅子を引く音がしたので何気なく隣を見ると、目が合った。
僕が挨拶をすると、人懐こそうな笑顔で普通に挨拶を返してくれた。
「君の隣かぁ、よろしく」
そう言った彼の名札を確認したら・・・
―本条 和泉(ほんじょう いずみ)―
「本条・・・」
「何?」
「あっ、いや・・・ごめんね。僕の知っている指導部の先生と同じ名字だったから」
珍しい名字ではないけど、僕にとって印象は強い。
「ああ・・・君、知ってるのか。そうだよ、本条志信はおれの兄貴だよ」
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